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北四番丁界隈

北四番丁

 藩政時代、現在の仙台市役所北側の街路が北一番丁通りで、そこから北に数えて四番目の通りが北四番丁です。仙台では侍の居住地を「丁」、足軽・町人の居住地を「町」と区別していました。 北四番丁は侍のまちということになります。 藩政初期には北四番丁までしかありませんでしたが、その後、さらに北に北九番丁までつくられました。その後、北六番丁以北はさびれて田畑となりました。

津田氏と佐沼

 現在、北四番丁通りは国道48号線の一部となっていますが、昔は、西側は土橋通りまで、東側は伊達藩重臣津田氏の大きな屋敷まで通っていました。 津田氏の初代は津田景康(1554-1638)。政宗に仕え大坂の陣などで多くの武功をあげた人物でした。豊臣秀次切腹の際、政宗も秀次に親しい関係から謀反の疑いをかけられたのですが、景康は伏見の津田の原で秀吉に会い、その疑いを晴らすことができました。この時、景康は湯目姓を名乗っていたのですが、政宗はその働きを喜び面会地から津田姓を与えました。NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』では金田明夫(『金八先生』では3年C組担任・社会科担当の北尚明役)が演じていました。 津田氏は宮城県北部の佐沼の領主です。ちなみに、当社には県北営業所がありますし、創業者は佐沼高校出身です。残念ながら、津田氏は7代藩主重村の不興を買い7代にして改易となり、佐沼は政宗の子の流れを汲むとされる亘理氏の領地となりました。津田氏改易によって屋敷は取り払われ、北四番丁通りは東照宮のある宮町まで通じることになりました。

北鍛冶町

  現在の木町通りに戦前まであった地名です。 仙台開府時の鍛冶職人が住んでいたまちで、奥州街道筋にあり、南は二日町、北は畳町に接していました。 詩人土井晩翠(1871-1952)はこの町に生まれました。また、仙台を代表する天文学者・数学者戸板保祐(といたやすすけ1708-1784)もここの出身です。なお、若林区には現在も南鍛冶町の地名が残っています。

細横丁

 高裁前から北四番丁通りに通じる現在の晩翠通りです。戦前は遊郭が並ぶ文字通り細い横丁(道幅1間半、2.7m)でした。   戦災を経て大きな道路として復興しました。焼け太りによって太横丁になったわけです。1983年に晩翠通りと改称されました。仙台に長く住んでいる人は細くない細横丁を覚えているかもしれません。しかし、遊郭のイメージと結びつくためか、急速に、細横丁という名前は使われなくなり、晩翠通りが一般化しています。

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